槍ヶ岳

今では北アルプスの一番人気の一つ「表銀座縦走コース」。
燕岳、大天井岳、西岳、そして東鎌尾根から槍ヶ岳を結ぶ尾根道。
槍ケ岳を遠くに眺めながら徐々に槍ヶ岳に近づいていく山行は、山好きであれば誰でも心躍ります。
特に西岳を過ぎ、東鎌尾根を辿る道は槍へ迫るプロローグとしては最高の高まりを見せてくれる道だと思っています。
深田久弥氏は一高時代19歳の1922年に初めて学校行事でこの道を歩きました。
とは言っても喜作新道はまだ出来ていない頃と「百名山紀行」に書かれていますが
それは本人の思い違いだったようです。
(山と渓谷社発行のヤマケイ文庫 深田久弥選集「百名山紀行」の編集後記には既に開通していたとあり深田久弥氏の思い違いだったと記されている)
喜作新道は小林喜作氏という地元の猟師が槍ヶ岳への近道として長男と二人で切り開いたもので
この道がなければ「表銀座縦走コース」も生まれず、今のようなブームもなかったかも知れません。
残念なことに小林喜作氏は喜作新道を切り開いた3年後の1923年3月に
黒部峡谷の棒小屋沢の猟小屋で雪崩に巻き込まれ長男とともに亡くなっています。
この時、深田久弥氏は喜作新道が出来る前に最もポピュラーだった燕岳から常念岳を経由し、一ノ俣に降りてから殺生小屋、
そこで一泊して槍ヶ岳へやっと辿りつきました。
槍に登った後、上高地へ下山し、当時2軒しかなかった上高地の宿の一つ清水屋へ宿泊。
まだバスも通っていなかったため再び徳本峠に登り返して新島々まで下山したようです。
今では2泊3日で歩けるコースとなった表銀座縦走コースですが
それまでは中房温泉-合戦尾根-大天井岳-東大天井岳-二ノ俣尾根-二ノ俣谷-槍沢-槍ヶ岳-上高地-徳本峠-新島々という
5~6泊を要するルートだったのですね。
写真は2014年の秋に中岳を過ぎて東鎌尾根から槍ヶ岳を望んだ時のもの。