蓼科山

2017/01/19
深田久弥氏は蓼科山に二度、登った。
一度目に登ったのは昭和10年の秋。
おそらく茅野駅辺りから登り始め、大門峠を経て蓼科牧場まで歩いたのだと思う。
まだ白樺湖のダム建設の構想もなく静かな白樺の湿原だった時だ。
深田氏は蓼科牧場で前泊。放牧した馬を捕まえに来た馬主達と楽しい夜を過ごした。
翌朝、将軍平から蓼科山頂へ。
一人ぼっちの静かな山行。
誰もいない石コロだらけの広い山頂で1時間程のんびりと休んだ。
僕が初めて登った時も山頂は一面のガスに覆われていて、その広い山頂で標柱や祠を探すのに苦労したのを覚えている。
深田氏は南斜面に真っ直ぐ下る道を親湯(しんゆ)まで下った。
この道は信玄棒道と呼ばれる道で、戦国時代に武田信玄が多くの兵を一度に移動できる様に
自動車が走れる程の幅広く緩やかな道を越後に向けて作った。
それが今も親湯までほとんど変わらずに残っている。
その一帯は既に蓼科高原と呼ばれ、夏には避暑地として賑わっていたらしい。茅野へのバスも走っていた。
深田氏はその二年後にも山登りが初めてという知人を連れて親湯から蓼科山頂へ。
そして大河原峠から佐久へと下った。
僕は親湯が気に入って友を連れて行ったのだと勝手に思っている。
僕個人は、蓼科山の山頂のピークを真っ直ぐに越える大石の続く道よりも回り道にはなるけれど
北横岳との間にある滝ノ湯川沿いの笹原が続く登山道が静かで好きだ。
ここで目の前まで近づいてくるニホンカモシカにも出会った。
今では幾つものルートから日帰りでアクセスできる様になった蓼科山。
冬山の入門としても楽しめる山になったけど、
もし時間の余裕があれば2つある小さな山小屋のどちらかに泊まって北八ヶ岳を堪能するのも楽しいですよ。